【悲報】高学歴なのに「生きづらさを抱える人」たち…

「有名大学を出ているのに、自信がもてない」「高学歴で頭はいいけれど、人との関わりが苦手」などと思う方が、周りを見渡したりご自身を振り返ったりすると、いるのではないでしょうか。
世間がうらやむ経歴や能力をもっているのに、社会で上手くいかず生きづらさを抱えている人の背景には、幼少期における偏った子育てがみられることがあります。
我が子が、頭もよくて、運動もできて、才能にあふれていたら、親は嬉しいもの。ただ、中にはバランスを崩していまい、本人の生きづらさにつながってしまうケースもみられます。
そこから見えてくるのは「能力を追求し過ぎたゆえのバランスを欠いた子育て」です。
◆「自己効力感は高いのに、自己肯定感が低い」というアンバランス
どうなるとバランスを欠いた状態に陥るのかを、心理学的な側面から解説していきましょう。
学歴は高いのに生きづらさを感じることは、「自己効力感は高いのに、自己肯定感は低い」ことで起こりやすくなります。頭はいいけれど、自分は好きではないという状態です。
「自己肯定感」と「自己効力感」という2つの言葉は、どちらも「自己」ではじまり「感」で終わるので、見た目はよく似ていますが、中身は全く違い、混同すると問題につながります。
■自己肯定感
文字通り「自分を肯定する気持ち」のこと。自分の長所のみならず、短所もひっくるめて、肯定している感情。
■自己効力感
自分がある状況に置かれたとき、必要な行動を「私ならうまく遂行できる」と信じられる気持ちのこと。
自分の長所だけではなく、欠点、弱点、苦手分野も全て受け入れて「好き」と言える感覚、それが自己肯定感です。
「あるがままの自分」ということですね。一方、自己効力感は、達成経験や成功体験によって高まる性質からも、その子の能力と才能などに特化されます。
この2つの言葉を比べると、自己肯定感の方がその子の心の土台的な役割を果たしているのがお分かりいただけると思います。
◆幼少期の競争社会は心のバランスを崩す要因にも
それにもかかわらず、日々子育てをしていると、その土台部分をスキップして、自己効力感が担当する「なにができるか」というところに気持ちが向いてしまうことが非常によくあります。
とくに今は幼少教育もさかんですし、競争社会です。なので、学校でも、できる子が注目を浴びます。
それにより、もし親が、「テストの点数や成績の順位がすべて」「受験合格がすべて」のように能力だけを追求することに躍起になってしまうと、
その子の心を気づかぬうちに傷つけ、自己効力感は高いけれど、自己肯定感は低い状態を作ってしまうことがあるのです。
たとえば、
・「○○中学に受からなければ、意味がない」のようにその子の人生を悲観視したり
・「ほんとバカ」「なにをやってもダメ」のような全体否定をしたり
・「○○くんは1位だって。それに引きかえあなたは……」と他の子と比較して否定したり
・テストで50点を取ったとき、「最悪」「最低」と言葉で突き落としたり
のような、その子自身を否定するような言葉です。
もちろん親に悪気はありません。真剣だからこそ強い言葉が出てきてしまうのです。でも、子どもの成功を願うばかりに、その子自体を否定するような言葉で奮い立たせようとしてしまうと、テストではいい結果を出せても、自分への愛は揺らいでしまいます。
テストの点数がイマイチだったとき、勉強のやる気を出さないとき、ケアレスミスが続くときなど、何か言いたいとしても、その子自身を否定するような言葉を使うのは避ける必要があります。
(以下略、全文はソースにて)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2740693bc884dc39c4f34dd85a006ca8feba261a
引用元: ・【社会】幼少期に原因が…? 高学歴なのに「生きづらさを抱える人」たち [ボラえもん★]
だけどこの冬変わった
なぜなら、えんとつ町のプペルを見たから
これを見てから自己肯定感が強くなった
ほんとにすばらしい映画だった
1850文字に遠く足りないようですが
それではお金もらえないでしょう?
なんか好き
おるよ。不登校から通信制高校通った後に派遣で転々としてたけど、30手前で正社員に上がれた。
年収600の工場勤務だけど結婚も出来て子供も生まれる
ペーパーテストは…
甥を見てる限り、親のご機嫌取り的な感じで中学受験してたな。
文系大学なんか行っても営業マンくらいしか仕事ねーよな。
自分が資格試験でも受験すりゃいいのにな
だから子供は引き篭もりとかになるし、大人になって自分の親が可笑しいと気付くから毎日罵詈雑言浴びせて来たり暴力に訴える様になる
結局は親のやった事は全部自分に返ってくるってわけ
自分の反抗期は30代だったわw
初めて聞いた!
また頭が良くなってしまったぁ!
私も初めて聞きました
まあ何かを出来るかどうかというのは論理的に導けるものなら事前に分かりますから自信も何もないのですよね
論理的思考による結果は誰が考えても同じ結論に至るので
どこかが間違えている事はもちろんありますけどその時は修正すれば良いだけですしそもそも良く練って考えていればそうなる事も少ないでしょう
自分以外の誰かのせいにしないと心が持たない
いまさらもうどうにもできないんだよ
社会に出たら嘘つけ機嫌とれ空気読めだから
そういう能力が高くないとうまくいかないよ
両親死んだけど、いまだに許していない
弟は行方不明
探す気もなし
小学校低学年の頃に酔った親に殴られて目に障害残って
精神的な所にも影響あって人生かなり狂ったと思うけど
親の責任何割ぐらいだと思う?
家業を継いで欲しいと学校の成績はまるっきり関心持たれなかった
それも何だかモヤモヤする
昔は核家族が今ほど多くなかったし近所付き合いも密だったから。
今は親に蔑ろにされると立つ瀬が無くなる。
無理しても居心地が悪いしこれで良いやとどうでも良くなるのだろうけど
いろんな価値観に縛られて、押し付けられて生きるから葛藤するんちゃう
その記憶力で何か面白いことを考えてみたらいい